“熊本県農協青壮年部協議会”

令和7年度 熊本県農協青壮年部協議会 委員長

川田大志郎

テーマ「熊本県盟友の挑戦と自分への挑戦」

2025.07.28

1989年3月。熊本県天草市深海町の農家の次男として生まれました。
地元は海と山に囲まれた自然豊かな環境で、主にポンカンや河内晩柑をメインに栽培している地域でした。
平成に入ると親父たちを中心に「しらぬい」の栽培やハウス施設での栽培など新しい品種への挑戦をしてきたことにより今の産地(地元)があります。

私は幼少から動くことが大好きで将来はスポーツ選手になることが夢でした。
しかし、小学生2年生の時に右足の大腿骨頭が壊死してしまうペルテス病という病気になってしまい、将来の夢が早くも潰えてしまい自暴自棄になりました。
元々やんちゃで迷惑かけてばかりの私でしたが尚のこと人に迷惑をかけてばかり。そんな自分を救ってくれたのが地域の方々であり親父たち青壮年部員の皆さまでした。

時は変わり20代。人を支えることができるような職業がしたいとリラクゼーションの道を進み約13年間関東地方で働いていました。店長となりサービスを極めていくなか地域農業の衰退と後継者不足の現実を知ります。
「地元の農業は今のままでいいのか?農業にももっと可能性があるのではないか?地元を救いたい!」そのような想いがきっかけで地元に戻り就農しました。
地域連携や特産の天草晩柑を広める活動をする中、県青協委員のお声がかかり2年間様々な勉強をさせていただき、もっと人のために尽力したく委員長に就任させていただきました。

就農4年の若手農家が委員長になるという前代未聞の人事。しかし、私は挑戦します!
私一人ではなく、県下盟友の力をもって熊本の農業をよりよくしていきたいという想いがあるからです。そして、その積み重ねが地域農業にいきると信じているから。
ありがたいことに役員となり沢山の仲間と出会ったこと。そして出会った仲間が年齢、経験関係なく同じ志を持った“同志”として接してくださったこと。
【出来るからやるのではなくやりたいから出来るようになる】この言葉をもって熊本の農業、日本の農業のために頑張り、いつか子供たちから憧れる職業になるよう挑戦します!

最後に全国盟友の皆様へ。これから農業の大改革期になってくるでしょう。時代を築き上げてきた方々からのバトンをしっかり受け取り、次の走者へつなぐことができるよう挑戦していきましょう!
青年組織は仲間づくりの場でもあると思います。一人ではできないことも仲間と協力し合っていきましょう!農業者としてまだまだ若手ですのでこれからもご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。